チャイコフスキーの「運命交響曲」として作曲されたこの曲は、作曲者自身の指揮による初演での評判は良かったものの、評論家からは酷評され、チャイコフスキーも「作り物の不誠実さがある」と、この曲には自信を持たなかった。
だが、現在では、交響曲第6番「悲愴」とともに、チャイコフスキーを代表する交響曲として、多くのファンに親しまれている。
この曲の特徴は、第1楽章冒頭でクラリネットによって提示される「運命の動機」を全楽章に登場させるという循環形式の手法であろう。特に、一つの旋律が原形を保ったまま全ての楽章に登場するのは、ベルリオーズが「幻想交響曲」で使った手法だ。
序奏でクラリネットにより「運命の動機」が提示される。しかし、この楽章では、「運命の動機」はこれだけである(第1主題は「運命の動機」に関係があるようだが)。
「運命の動機」から重苦しい第1主題へと音楽は続き、やがてひとときの安らぎのような第2主題が登場する。
そして、ソナタ形式の展開部、再現部を経て、コーダでは第1主題のディミヌェンドでこの楽章は静かに終わる。危機は去ったのか、それとも…
緩徐楽章。「con alcuna licenza」は、「ある程度の自由さをもって」の意味。
チャイコフスキーの数あるメロディの中でも群を抜いて美しい2つのメロディ。だが、不安をかき立てるような第3の動機が現れ、それは「運命の動機」に発展する。
再び現れる美しいメロディ。しかし、もう警告的に一度現れる「運命の動機」に遮られる。そして、三回目のメロディはやがて静かに幕を閉じる。
(この美しいメロディが警告的な動機に2回遮られ、静かに楽章が終了するという構造はベートーベン交響曲第9番第3楽章と一緒に思える。こちらも「Adagio molto e cantabile」とカンタービレの指示がついている。)
交響曲としては珍しいワルツ(この曲以外にワルツを使っている交響曲は、ベルリオーズの「幻想交響曲」くらいである)。しかし、このワルツは一見華やかに盛り上がるが、どこか寂しげな印象もある。そして最後に3拍子になった「運命の動機」がファゴットによって吹かれてこの楽章は終わる。この「運命の動機」には、もはや重苦しさはないが、どこか寂しげである。
この交響曲もご多分に漏れず、終楽章は長調である。
控えめではあるが、もはや勝利の凱歌となった「運命の動機」に始まり、やがては大騒ぎ。だが、どこか陽気にはなりきれない雰囲気を漂わせ、ここにも「運命の動機」が姿を現す。
そして、コーダでは、「運命の動機」を勝利の凱歌として高らかに歌い上げ、今や長調と化した第1楽章第1主題をファンファーレとしてこの曲は締めくくられる。
ムラヴィンスキーはレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団と数多くのこの曲の録音を残している。 このDVDに収録されているインタビューでは、ムラヴィンスキーのこの曲(関連する様々なことも含めて)について
などの解釈が語られており、なかなか興味深い。 このDVDは2枚組であり、他に
が収録されている。
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このCDに収録されているこの曲は、1998年にザルツブルクで行われたゲルギエフとウィーンフィルの演奏のライブ録音である。 そういう意味では、賛否両論な演奏である。 |
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終楽章のコーダの直前に1小節近く全オーケストラが休止してしまうが、コンサートではここで拍手が入ってしまうことがある。そこで、それにまつわるジョークがいくつか存在する。
終楽章のコーダの冒頭、木管楽器による伴奏ががアニメ「ドラえもん」の主題歌のイントロと似ているので、コーダの部分は一部の人から「ドラえもん」と呼ばれているそうである。